長崎県にある『創成館高校』は、高校野球でも屈指の強豪校で知られていますよね。
その高校で、よく取り上げられる「名物校長」として理事長・校長を務める奥田修史先生は、とてもノリがよくて「ん?この先生何か違う」と思わせる雰囲気があり、気になって調べてみました。
校長就任時は、行きたい高校ランキングで県内最下位、偏差値評価なし、経営破綻寸前の学校運営をわずか7年で立て直したという凄い人!
社会人や、子育てで悩んでいる人にも参考になると思うので、ぜひ最後まで見て下さいね!
奥田修史校長プロフィール

- 1971年長崎生まれ。
- ハワイ州立大学卒業
- 祖父の代から続く学校法人奥田学園に、当時の理事長であった父の秘書として就職。
- 2003年、父の急死により32 歳で理事長となり、経営破綻寸前だった学園を立て直す。
- 2005年創成館高校校長に就任。
経営破綻寸前の学校を7年で立て直し、有名大学への進学実績を上げ、野球部は甲子園への常連に、第一志望で入学してくる生徒が90%という超人気校へと変えました。
就任時は手取り10万円!
奥田校長は、先代から理事長を引き継いで金融機関に出していた、返済計画を見ると「よい教育はできないな」と思ったそうです。
そこで、生徒たちを輝かせることをやって経営を立て直すというほうに方針を転換したと話しています。
生徒に目を向けた
それまでは、入試で名前さえ書けば全員入学できますっていうような学校だったけれど、落とすべきは落とす。それで入学者が減ったとしても耐えて、入ってくれた生徒にはとにかくとことん付き合おうぜ、と。
引用元:stage.st
かっこつけた話かもしれないですけど、「お金」から「お客様」である生徒にバッと視点を向けたところから評価が変わりましたね。
ちょっと目を向ける先を変えたことで、これからどんどん変わってくることになるんですね!
先生たちが変わった
もともと現場の先生たちは、「もっとこうしたい」というアイデアがあったのですが、それを上手くいかしきてれいなかったようです。
先代の秘書的な仕事をしているときによく職員室にいたんですけど、経営陣よりも先生たちの方が、教育者として正しいんですよ。
引用元:stage.st
現場の先生たちは現実を分かっているし、生徒たちをこうしよう、っていうアイデアもいっぱい持っていたんです。
だから僕は、理事長の座を継ぐ前から「この学校はもしかしたら復活するんじゃないかな」っていう期待を持っていたんです。
実際に、先生たちに「本当の教育をしようぜ」っていう話をすると、自分たちが食い詰めてでも「やろうやろう」みたいな反応があった。
理事長になったばかりの頃は手取り10万円で、先生たちは40%カットをしていたと話しています。
先生たちが「本気でいい学校に変えていきたい」と考えていることが分かりますよね。
給与40%カットという荒業ができたのも、本当に現場の力、理解です。
引用元:stage.st
この学校を復活させたのは他の誰でもなく、そういった現場の先生たちの気概じゃないかなと思いますね。
企業でもそうですけど、常識的に考えて、利益が出ていないのになんで社長が一番高い給料をもらわなきゃいけないんですかね。
利益が出ていなかったら、社長自らが給料をカットしなくちゃやっていられないでしょ。
僕がもし部下だったら、「お前なにたくさん給料とってんの?」って思ってどんどんモチベーションが下がっちゃいますよ。
まず自分が身を削る姿を見せないと絶対に人は動かないと思います。
僕が理事長になったときは、手取りで10万円ももらってなくて、嫁さんのヒモみたいな感じで何年か過ごしていたんです。
まずそこを見てもらったから、「理事長がここまでやっているんだったら、理事長が掲げている理念に賛同した自分たちもやらなきゃいけないよね」って、先生たちに思ってもらえたんですよね。
先生たちも、他の学校へ行くことも全然ありだと思うんですよね。
しかも、現場の先生たちはいろんなアイデアを持っていたのに、それを生かしきれていなかったのは経営陣だと責任を押し付けることもできたはず。
でも、誰の責任にもせず「自分たちで変えていく」という考え方で動いていって、給与カットしながらも自分たちを変えていき、学校を変えていったところにめっちゃ感動しました!
奥田校長熱いです!
生徒と先生を守るため
奥田校長は、自分自身「創成館で働いている」と話せなかったそうです。
それは先生たちも一緒で「自分の職場に誇りを持ちたい」という想いは、一緒だった。
「ある塾の学校ランキングでは県内最下位。しかも偏差値評価なしというどん底状態でした。
引用元:souken.shingakunet.com
自分自身、 父の秘書として勤務していましたが学校外の人に 『創成館で働いている』 とはなかなか言えなかった。それは先生方も同じでした」
どこで働いているのか、人に言えないのは自分自身の価値も下がってしまいそうですよね。
仕事に対しても、投げやりな気持ちが出てきそうになったりして悪循環に陥りそうです。
同じ「働く」という時間を使うなら、やりがいを持って働きたいですよね。
楽しく仕事する
そんな奥田校長は、問題山積の学校運営に頭を悩ませていたこともあったそうです。
熱く生きる
課題山積の学校運営で、表情が暗くなり、沈んでいった。
引用元:data-max.co.jp
ついに教員から「そんな暗い顔で来ないでください」と言われ、気づいたという。
「人は楽しいところに集まる。学校を楽しいところに変えるのは生徒たちではなく、教職員たちの責任だ」(奥田校長)と。
その後、奥田校長は、「子どもたちに夢を語り、夢を持たせることが生きがい」「常に情熱を持ち、今日も熱く、熱く、熱く生きる」といった『創成館 教員心得十ヶ条』を策定。
毎朝朝礼で唱和をすることを始めたそうです。
気づいては自分自身を変えて、気づいては自分自身を変えていってる奥田校長。
「自分は偉いんだ」と思っていたら、「そんな暗い顔で来ないでください」と言われても、気づかなかったはずですよね。
「すべらない話」 をする
朝の職員会議では、持ち回りで「すべらない話」 をして笑いをとることを決められているそう。
これは、日常から「すべらない話」に目を向けていないと話せないですよね。
楽しいことへ目を向けることによって、同じ日常でも楽しいものに見え方が変わってくるかもしれないですね。
仮にすべったとしたも、すべったことが笑えて「すべらない話」になりそうですね!
全員でハイタッチ
他にも、教職員全員でハイタッチをしているという事です。
いろいろと盛り上げていこうと考えていますね。落ち込んでいる暇はありません!
自分を人生の主人公にする
奥田校長は、生徒に対してどんな接し方をしてきたのか調べてみると「主体性」という言葉をよくつかってます。
どんなことをしてきたのでしょうか?
全校朝礼で「本気のジャンケン」
月曜日の朝、少ししゃべって「本気のジャンケン」を始めます。
でも、どうしてそんなことするのか?という意見もあるので、奥田校長は何度も何度も説明すると話してます。
「どうして、そんなことやらないといけないんですか?」と。それで「今の生徒たちって冷めてるよね。でも熱さって必要だよね。勝ったら嬉しい、負けたら悔しいってのを教えようよ」と説明した。
小さい頃は、ちょっとしたことでも感情が出ていたように、嬉しい、悲しい、悔しい、寂しい、楽しいなどなど、たくさんの感情を思い出させようとしているのかなとも思いました。
自分の人生の主人公を自分にするためには「自分が何を思っているのか?」これに気づくのは、とても重要だと思いますよね。
「自分がどうしたいのか?」それに気付けば、その思いに従っていけばいいので。
勝つ喜びは「化ける」
自分には「価値がない」と思い込んでしまっている人に対して、奥田校長は「勝つ喜び」を教えると話しています。
今までね「ダメだバカだ、お前なんか生まれなきゃよかった」と言われてるやつがね、「勝つ喜び」を知った時、人間って化けるから」
引用元:ningenryokudaigaku.com
奥田校長は、子供たちに自信を持たせることや、価値があると思わせることをどうやったらできるか考えているように思いましたね。
自分が考えて、自分が何をしたいのか?
奥田校長は、ラジオのインタビューで主体性が大事と話しています。
「自分が考えて、誰かに言われたからとか、誰かの目が気になるからとかじゃなくて、自分が何をしたいか?これが(心の)背骨になる」
挑戦が成長だ
挑戦しなければ、何も始まらない。挑戦するから何かが得られると話しています。
「挑戦が成長だ。挑戦が未来を創る。今、やりたいことをどんどんやっていこう」
「自分が提案したものが形になるんだ!という経験をすると、自身になる。そうすると、どんどん提案しようという事で、主体性を持った人間がどんどん出てくる。
例え提案して却下されても、それも経験。
バッターボックスに立ったから、三振できたんじゃん。バッターボックスに立たないと何もできないよ」と、よく子供たちに言ってます。
体育祭をフェスにする
体育祭について「これをやってみたい」や「これっていらなくない?」というものを考えて『スポーツのお祭り』として進化させているそうです。
「体育祭って、お祭りみたいだよねから、お祭りならフェスじゃね。となっていった。」
「入場行進ってなんでやるの?いらなくね?ということで(入場行進)なくなりました。」
と、ラジオで話していました。潔いです!
コミュニケーションの取り方
奥田校長は、生徒たちとどんなふうにコミュニケーションをとっているのでしょうか?
『ウルトラソウル』を歌う
オープンスクールで、奥田校長はB’zの『ウルトラソウル』を歌うそうです、生演奏で。きっとノリノリですよね。
校長自ら、楽しんでいると生徒たちも「やっていいんだ」と思いますよね。
校長室で一緒にランチ
奥田校長が、廊下を歩いていると「先生相談があるんですけど」と生徒に声をかけられるそうで、「いいよ、じゃあ昼休み校長室おいで、一緒にランチしよーぜ」と話していました。
こんなふうに話を聞いてもらえると思うと、先生に対して信頼も生まれてきますよね。
そして奥田校長は、偉そうにしないところもやっぱり凄いですよね!校長先生なのに、生徒と同じ目線になっている感じがしましたね!
そんな奥田校長は、子供の頃はどんな子だったのでしょうか?
中学は不登校だった
こんな数々の改革を行ってきたノリノリで明るい奥田校長は、どんな子供時代を送ったのか気になったのですが、これが意外にそうではなかったのです。
虚弱体質だった子供時代
奥田校長は、子供時代1カ月に3回病気になっていたほど、体が弱かったそうです。
今は、背も高くがっしりした体形をされているので意外でした。
月に3回は多いですよね。病気がちだとメンタルも弱ってしまいそうなので、あのノリノリの奥田校長からは想像がつきません。
中学は不登校だった
中学は不登校だったとラジオに出演した時に話しています。
当時は、あまり不登校の生徒はいなかったので、不登校の生徒を受け入れる学校が恐らくなかったようで、高校進学に苦労したそうです。
長崎県にいたそうですが、福岡県の高校へ進学したと話しています。
「福岡の筑豊にある高校へ進学したんですが・・・例えるならインパラが、ライオンの群れの中に放り込まれた感じです。」
んー地元の人たちは分かるかもしれませんが・・・多分相当荒れていた学校だったのでしょう。
ですが奥田校長は、背が高かったり「なぜ長崎から福岡に?」と逆に怖がられたりしたことで「ライオン」として順応していったようです。
奥田校長は、自身のことをあまり積極的に話さないのですが、聞かれるととても面白く話してくれるので引き込まれてしまいます。
さいごに
奥田校長は、本当に話し上手で面白く話してくれてます。
子供の頃の病気がちだったこと、不登校だったこと、荒れていた学校に通っていたこと、アメリカの大学へ行って主体性の大切さを学んだこと、これらの経験をフルに活用して学校運営をされて、教職員や生徒たちと関わってきていると思いました。
やっぱり、奥田校長が気づいて変えてきたことが調べていくとよく分かり、問題に対してよく考えていることも分かりました。
「吐くほど考える」そう話していましたが、これは考えに考えて頭が痛くなって吐くぐらい考えるという意味で言っているそうです。
はっきりと説明できるまで、考え抜いているという事なのではと思いました。
だからこそ、わずか7年で学校を再生できたんですね!
コメント