日本のプロ野球とアメリカのメジャーリーグで活躍する、日本人選手たち。
日本の中でプロとして活躍するのも大変なのに、さらにメジャーリーグへ行き自分と向き合い、進化させていく姿に、感動し元気をもらいますよね!
そこで彼らの残した偉業を、数字の面と名言などからどのように成し遂げてきたのか、さらに引退した選手は現在どうしているのか、その辺りも気になったので調べてみました。
ぜひ、最後までご覧くださいね!
日米通算勝利投手数トップ5
日本人投手の日米通算記録のトップ5です。
- 1位 ダルビッシュ 有 206勝 (MLB 113勝/NPB 93勝)
- 2位:黒田 博樹 203勝 (MLB 79勝/NPB 124勝)
- 3位:野茂 英雄 201勝 (MLB 123勝/NPB 78勝)
- 4位:田中 将大 199勝 (MLB 78勝/NPB 121勝)
- 5位:石井 一久 182勝 (MLB 39勝/NPB 143勝)
200勝達成しているのは、たった3名。
やはりプロとして日本で野球をしていても、異なる環境で自分の力を発揮するという事は並大抵のことではないのが分かりますよね!
そんな上位3名の方たちのアメリカでの評価と、どんな姿勢で野球に取り組んできたのか、コメントなどの言葉から見てみたいと思います。
ダルビッシュ 有
- 大阪府羽曳野市出身
- 2004年からプロ入り
- 2005-2011年 北海道日本ハムファイターズ
- 2012-2017年 テキサス・レンジャーズ
- 2017年 ロサンゼルス・ドジャース
- 2018-2020年 シカゴ・カブス
- 2021年~ サンディエゴ・パドレス
MLB14年目のシーズンを迎えているダルビッシュ選手は、アメリカではどう評価されているのでしょうか?
メンター的存在であり仕事の達人だ
サンディエゴ・パドレスを率いるマイク・シルト監督は、ダルビッシュ選手のことをこう評価していました。
引用元:news.yahoo.co.jp
「テンポの良いイニングが続き、両投手とも本当に素晴らしかった。なかでもダルビッシュは格別だ」と試合を振り返っている。
さらに、「投球内容がとてもいい。カウントを優位に進め、様々な回転や軌道の球を投げ分け、速球のキレも抜群だ」と高く評価。
速球の割合が高かった点については、「速球を軸に投げ、他の球種を引き立たせている」と分析し、「まさに仕事の達人だ」と称賛の言葉を繰り返していた。
他にも、パドレスの番記者を務めているスポーツウェブメディア「The Athletic」のデニス・リン記者が現地評価について語っています。
引用元:column.sp.baseball.findfriends.jp
「ダルビッシュほど、クラブハウスで尊敬を集めている選手はいません。彼はフィールドで成し遂げた成果と、フィールド外での振る舞いでその尊敬を勝ち取っています」
チームの中で先発ローテーションの中心であり、チームや若手選手を大切にしてくれるリーダーでありメンター的な存在なんだそうです。
どう向き合ってきたのか?
「自分のことは自分が一番よくわかっている。自分とずっといっしょにいて一番仲がいいのはやっぱり自分なんです。」
「練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ。」
「成功が長く続けられる選手は自分を冷静に客観視でき、かつ足りない部分に最適な努力を見つけ出す。これはスポーツに限った事じゃないんでしょうね」
自分自身と常に対話をして、どうすればいいのかを真剣に考えてきたのではないのかと思いましたね。
練習をやっただけで満足しないで、その練習にどんな意味をもって取り組んだのかを考えながら取り組んでいたのでしょう。
その取り組む姿勢が、日本のプロ野球でも成績を残し、アメリカでも長く現役として活躍していけるのだと思います。
その場に流されるのではなく、冷静に自分自身を見ることはなかなか難しいですよね。
落ち込んだり、上手くいかないことが出てくると自分自身を見るということがあるかもしれないですが、常に「冷静に自分自身を見る」ということは、何か「あるべき姿」のようなものがあるのかと思いました。
その自分に比べて、改良することがある点を見つけて修正していくようにも思いました。
やはり、大きな記録を残すにはこういった日々の取り組みが、最終的に形となって残っていくのでしょうね!
黒田 博樹
数々の記録を打ち立ててきた黒田博樹さん。
その黒田さんが、現役選手時代特にMLB時代にスポットを当てて、どのように過ごしてきたのでしょうか?また、現在どうしているのでしょうか?
- 大阪府大阪市住之江区出身
- 1996年からプロ入り
- 1997-2007年 広島東洋カープ
- 2008-2011年 ロサンゼルス・ドジャース
- 2012-2014年 ニューヨーク・ヤンキース
- 2015-2016年 広島東洋カープ
10年間日本のプロ野球で活躍し、33歳という年齢でMLBで環境に適応しながら6年間好成績を残してきています。
アメリカでもその評価は高く賛辞を贈られています。
ハイレベルな成績を収め続けた
引用元:full-count.jp
「彼の一貫性、耐久性、プロフェッショナル精神が、米国でのキャリアを築かせている」と言及。
黒田は「右腕のアンディ・ペティット」だとして「いつもエリートではないが、常に信頼性が高く、うろたえず、頑丈だ」としている。
昨季限りで引退した元ヤンキースの名投手と比較されるほど、評価は高い。
引用元:baseballgate.jp
今季限りで現役を引退した広島の黒田博樹投手に対し、米国内で改めて賛辞が贈られている。
米スポーツ専門サイト「SBネーション」が「ヒロキ・クロダの並外れたキャリアを振り返る」との見出しで特集し、その輝かしいキャリアをレポートしている。
黒田は専修大から1996年のドラフト逆指名で広島入り。1年目に6勝を挙げると2008年にメジャー移籍をするまで6度の2桁勝利をマークし、2005年に最多勝(15勝)、2006年には最優秀防御率(1.85)にも輝いた。
さらに渡米後のドジャース1年目では9勝をマークすると10年以降は常に10勝以上を挙げ、12年のヤンキース移籍以降も含めて日本人初となる5年連続2桁勝利をマーク。11年からは3年連続で200イニング超えも果たした。
39歳で迎えた14年のヤンキース最終年も199イニングを投げるなど鉄人ぶりを発揮した右腕はメジャー通算212試合、1319イニングを投げ、79勝79敗、防御率3.45と堂々の成績を収めて広島に復帰。古巣でも2年連続で2桁勝利を挙げ、今年は25年ぶりのリーグ優勝にも貢献した。
彼が偉大なのは、日本のプロ野球とMLBの2つのリーグで成功したことにあると言われています。
特にメジャー球団に移籍以降も、安定した成績を収め続けたことを高く評価されています。
黒田 博樹さんが現役を引退すると表明すると、全米メディアもこの引退表明を取り上げて報道し、その功績を称えました。
どう向き合ってきたのか?
MLBの名門球団で好成績を収め続けた、黒田博樹さん。
どのように野球と向き合い、長く好成績を収め続けてきたのでしょうか?
耐雪梅花麗(雪に耐えて梅花うるわし)
西郷隆盛の漢詩の一節で、寒い冬を耐え忍んだ梅が、春に最も美しく咲くように、人間も多くの困難を経験してこそ大きなことを成し遂げられるという意味。
黒田さんの座右の銘として有名ですよね。
ピッチャーとして打線を抑えていても、打撃の援護を受けない時もある。そんな時でも我慢して耐えるしかない、相手がどこでもやることは一緒と答えていました。
MLBでも活躍した黒田さんの言葉は頼もしく、いろんな経験をしたからこその重みがありますよね。
引用元:number.bunshun.jp
アメリカのスタイルに合わせて自分を変えられるか、それがメジャーで成功できるかどうかの鍵。
投球を100%いい状態にしておくのではなく、体を100%いい状態にして、登板した状態で投球内容を組み立てていたそうです。
なので、その日の状態でベストなものを出していくという考え方でMLBでの選手生活をおくっていたと思います。
『1年1年、生き残っていくためにどうすればいいか常に考えてやってきた。一瞬で終わった感じです』
『マウンドに上がるのは怖くて怖くて仕方ない』
『怠けたくはない。登板するたびに自分を完全燃焼させたい。期待に応えられない時の怖さを維持したい』
『小さな目標をまず立てる。そしてその目標をクリアしたら,また次の目標へ向かって努力をしていく』
『先に準備をしておくのは「弱いから」なんです。マウンドに上がるのが怖いから、しっかり準備をするんですね。
強い人なら、たとえ打たれてしまったとしても「まあそういうこともある」と切替えることができる。
でも私は打たれるのが怖いんです。
じゃあどうするかというと、恐怖心があるから準備もするし、相手のこともしっかり調べる。「これで100%大丈夫」ということはなくとも、それに近づけてマウンドに上がるようにしていました。』
何か凄く大きな記録を残した選手でも、やることは小さく地味に見えることだったりする。
それを少しづつ少しづつ、積み重ねていって自信となり、経験となり大きな記録となって残っていってるのかと思わされました。
ここに人間性を感じずにはいられなかったですね。やはり凄い選手だったと思います。
現在は何をしているの?
現在、黒田博樹さんは2023年から広島東洋カープの球団アドバイザーとして契約しています。
若手中心に助言しながら、1軍のレギュラー選手にも気持ちの持って生き方などをアドバイスしているそうです。

野茂 英雄
野茂英雄さんは、その卓越した実績と日本人メジャーリーガーの道を切り開いたパイオニアとしての功績が称えられていますよね。
その野茂さんが、選手時代特にMLB時代をどのように過ごして、現在どうしているのでしょうか?
- 大阪府大阪市港区出身
- 1989年からプロ入り
- 1990-1994年 近鉄バファローズ
- 1995-1998年 ロサンゼルス・ドジャース
- 1998年 ニューヨーク・メッツ
- 1999年 ミルウォーキー・ブルワーズ
- 2000年 デトロイト・タイガース
- 2001年 ボストン・レッドソックス
- 2002-2004年 ロサンゼルス・ドジャース
- 2005年 タンパベイ・デビルレイズ
- 2006年 シカゴ・ホワイトソックス
- 2008年 カンザスシティ・ロイヤルズ
MLB時代は、ノーヒットノーランをナショナル・アメリカン両リーグで達成。
他にも最多奪三振を2回獲得、新人王受賞といずれもアジア人初の実績を成し遂げている。
そんな野茂さんのアメリカではどのように評価をされているのでしょうか?
引用元:zakzak.co.jp
1994年、MLB選手ストライキが決行され、シーズンの半分とワールドシリーズが中止となり、多くのファンが怒りと失望により二度と球場には行かないと誓った。野茂はその翌年に登場した。
ダウニーはこう書いている。
「彼は欲深い無用なストライキの後、『もう二度と試合には行かない』と嘆いていた客を観客席に呼び戻した。野茂英雄は野球を救った。それが私の持論だ」
『ノモマニア』は、LAタイムズ紙のマイク・ダウニー記者の造語で、この造語ができるほど熱狂的なファンも登場したそう。
野茂さんが登板する日は、野茂さん見たさに観客動員数が多かったと言われています。
野茂さんは、MLBで最悪な時期に登場し、再び盛り上げてくれた立役者として見られています。
引用元:zakzak.co.jp
ドジャースのトム・ラソーダ監督は言った。
「つまらないことでファンを永久に失いかねないタイミングで登場した彼は、野球界に起こり得る最高の出来事だった。
野茂は成功を感じさせ、人の心を動かした。
噛みタバコを吐く選手、癇癪を起こす選手、契約を保留する選手、コカインに手を出す選手、家庭内で暴力を振るう選手、脱税する選手、サインを避ける選手、高速道路でスピードを出す選手、フロントオフィスの性差別主義者、人種差別主義者、外国人嫌いの選手がいるリーグにおいて、野茂英雄はまさに適切な時期に適切な人物であった」
MLBが荒れていた時期に、真っ直ぐ野球を続けることを選んできた野茂さんが登場し、あのトルネード投法でファンを虜にしていったのですね!
他にも、米メディアの選出する「メジャー史で最も重要な人物」で堂々の37位に入ってます。
トルネード投法でメジャーを席巻した野茂氏は、約150年のメジャーの歴史に残る偉人に選出された。
(中略)
1994年シーズン後、任意引退の道を選ぶことで、メジャー挑戦に踏み切った野茂氏。
ドジャースとマイナー契約を結ぶという茨の道を進み、夢を叶えた。
日本人初のメジャーリーガーは、1964~65年にサンフランシスコ・ジャイアンツで計54試合に登板し、5勝1敗9セーブの成績を残した村上雅則だが、野茂氏の成功でNPBからMLBへの道は開かれた。記事では、パイオニアとしての役割を高く評価している。
野茂さんは、日本のプロ野球で実績がありつつも、夢であった「メジャーリーグへの挑戦」を選んだパイオニアとしての存在を評価されているでしょうね。
そんな野茂さんは、どのように野球と向き合ってきたのでしょうか?
どう向き合ってきたのか?
当時、MLBへ本格的に挑戦するのは無理だという考えが多い中で、それでも貫き通した野茂さんは、どんな思いで野球と向き合ってきたのでしょうか?
「挑戦すれば、成功もあれば失敗もあります。でも、挑戦せずして成功はありません。何度も言いますが、挑戦しないことには始まらないんです」
「出来ることはやっていますから、それで駄目なら、しゃーないかなあって。」
「とにかくメジャーのマウンドに上がりたい。その気持ちが強くて、不安とか感じませんでした。」
「とにかく、腕を振るしかない。押し出しになってもいいから、バッターに向かって、思い切り腕を振ろう。それだけを考えていました。」
「なれるとかなれないとか考えていたって一歩も前には進めません。やるかやらないかそれしかないのですから。」
野茂さんは、力強く前向きな言葉が多いと思いました。
自分を信じて、真っ直ぐ生きてきたという感じがします!
現在は何をしているの?
そんな野茂さんですが、現在特定非営利活動法人NOMOベースボールクラブの代表理事を務めています。
他にも、2016年からサンディエゴ・パドレスのアドバイザーに就任して、ダルビッシュ選手も助言を受けていると話しています。
そして、日本のプロ野球の野球解説も務めています。
MLBオールスター初出場からちょうど30年にあたる2025年7月12日(現地11日)にロサンゼルス・ドジャースのインタビュー取材を受けた内容がYouTubeチャンネルで動画が公開されました。
さいごに
偉業を成し遂げていく人たちは、自分を信じてとにかく歩みを止めないように見えました。
みんなそれぞれ偉業を成し遂げる歩み方は違いましたが今、自分ができることをやってきたのだと思います。
自分の信じる道を進む、そんな力をもらったような気がします。
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